授業時数増加の議論について

 相変わらずの更新停滞っぷりでした。ネタはあるのにまとめる時間がないという、ぐだぐだな状況でした。昨日までで、やっとごたごたが一段落して、今日はちょっと家でのんびりしてから大学に顔を出そうかな、と思っております。
 ところで、しばらく前に、新聞の1面に授業時数増加についての記事が載っていましたね。忘れてしまった方は、ここ2週間以内の話だったと思うので、朝刊の1面をもう一度チェックしてみてください。授業時数を1割増やす、ということでした。
 その時に、内容面が問題だなどと批判する記事がありましたが、本当にそうなのでしょうか? ゆとり教育化以前の授業時数が多かったときは、いったい何をしていたのでしょうか?
 算数の計算練習で全員が自分の定着を高めたり、社会の調べ学習のために出かけたり、理科の実験を多くやったり、無駄な時間などなかったはずです。本当なら、授業時間内で体験させてあげたいと教師が考えていることはたくさんあったはずです。それなのに、そんな大切な時間を切り捨てて、政治家は落ちこぼれを大量に作る方向に教育課程を変えてしまった。そういうことをやっておいて、時間数を元に戻そうとしたら内容もそれに見合うように増やさなければ意味がないだとか主張するのは、私としては、おかしな議論だと言わざるを得ません。何も、ただ他人の意見に反対すればいいと思っているわけではないのですが、ジャーナリストの考えることはよくわからないのです。評論家といわれる人たちもまた然り。
 ちなみに、ここで1割増やしても、やっと800単位時間、つまり800コマの授業が確保されるというだけなのです。参考までに、PISAで1位や2位を常に確保している北欧の国々は、だいたい1000〜1200時間くらいです。小学校で。どれだけ日本の子ども達が勉強していないのかという現状がよくわかります。これだから、塾に行って高いお金を払わないと十分に学習をすることが出来なくなっていて、日本だけが学習塾儲かりまくりという意味不明な状況に陥っているのです。この公教育における授業時数の少なさが、教育格差を生んでいる元だということにいい加減に気付いたほうが国のためだと思います。